お庭

京の民宿「大原の里」の庭について

ここ「大原の里」の庭と私の付き合いも早いもので約20年を数える。これまで庭の手入れに加え、露天風呂の作庭にも携わってきたが、大原の自然に抱かれ、庭と向き合うことのできる喜びは何物にも変えがたいものである。庭の手入れというと、毎年同じことを繰り返すことのように思われるかもしれないが、大原の山々の恵みを受けた豊かな自然や刻々と変化する四季の移ろいなど、この庭に息づく新たな自然との出会いを楽しめるのもまたこの庭と向き合うことの醍醐味なのである。この庭の魅力は言葉で語りつくせるものではないが、多くの方に大切にされてきたことへの感謝の意を込めて、ここ「大原の里」の庭について少しお話させて頂こうと思う。

この主庭は、大原の豊かな自然と山からの恵みを受けて共存する庭といえるだろう。

座敷と客間に面した主庭は、約40年前に民宿と同時に生まれ、大原の里の営みとともに大切に受け継がれてきたという。この庭には、樹齢150年はあろう山桜の大木が抱かれており、毎年美しい花を咲かせている。
大原の西の谷合は、寂光院や旧家が静かに佇む風光明媚な山里であり、木々の間を流れる清らかな小川に沿って、この庭は作られている。
この庭の背後には、連続した山並みがひかえており、山から浸み出す湧水を筧で池へ引き込んでいる。清らかな湧水のほとりには、ワサビが自生し、モリアオガエルが棲み付き、自然の豊かさを映し出している。
庭に植えられたモミジの木漏れ日は輝きのある緑陰をもたらし、秋には燃えるような紅葉を見せる。モミジの足元には苔の緑がみずみずしく広がり、所々にミヤコワスレやカタクリ、ヤマユリ、スミレなどの山野草が四季折々の表情を見せ、フキや山菜なども自生し景色に彩を添えている。この主庭は、大原の豊かな自然と山からの恵みを受けて共存する庭といえるだろう。

時には鋏を使わず、あえて枝を折ったり、枯れ枝をわざと残したりする。

次に、この庭の手入れに臨む時の心得をお話したい。庭の手入れには、大きく伸びた枝を外して姿を整える剪定作業や下草の除草作業、池や流れに堆積した土砂を汲み取る掃除等がある。このほかにも、四季に応じた手入れとして、マツの芽摘みや花木の剪定、落ち葉かき、冬の装いである雪吊り等が挙げられる。
この庭の手入れの第一の心得は、手を加えすぎないことである。樹木は手を入れれば入れるほど自然らしさが失われていく。しかし、樹木は手を入れなければうっそうとした雰囲気になり、病害虫も発生し育成不良となる。強風によって枝が折れ、自然に樹形が整っていく海岸の松や渓流にあるモミジなどの美しい姿を想起しながら、手を入れたか入れないか感じさせないように、周辺の樹木との関係を見極めながら剪定し、樹木のもつ本来の魅力を引き出すことが重要なのである。時には鋏を使わず、あえて枝を折ったり、枯れ枝をわざと残したりする。自然には鋏で切ったような鋭利な切断面は存在しないし、枝が裂けたり、しぶとい枝が残ったりする方がよっぽど自然らしさを感じさせるものだ。また、樹木は成長し姿が崩れるとともに思わぬ実生木や野草が生えるなど、毎年違う表情を見せる。大切にしていた樹木や枝、野草が枯れたりすることもある。それらの変化した状況をどのように活かすかを判断し、樹木と対話しつつ、大原の自然を取り込んだ庭園として、いつ見ても同じ雰囲気を感じてもらえる変わらぬ景色があってこそ、素晴らしい庭園であると言えるのではないだろうか。
また、大原の自然豊かな山里と、庭園内の雰囲気を調和させることで、庭の景色は、背後の山が借景として取り込まれ、空間に広がりを持たせることができる。自然の持つおおらかな林を前にして、町屋の庭のような繊細な手入れや刈込を行っても、背後の自然樹形の樹木と溶け合わず、せっかくの借景を活かすことができず、庭園のみの囲い込まれた狭い空間となってしまう。この庭の背後には、大原の豊かな自然を感じさせる良好な緑が広がっているというのにである。この庭の背後に広がる、大原の豊かな自然を生かし、取り込むような手入れを心掛けながら、いつも庭と山々の自然と向き合っている。

大原の旧家で使用されていた鞍馬石や貴船石など京都の名石を用いることができたのは幸運であった。

敷地の特性を活かし、3つの異なった味わいを堪能できる露天風呂の庭を作庭したのは約10年のことである。内風呂は、幅広い額縁から五右衛門風呂を添景として望めるような、屋外への期待感を持たせる庭とした。半露天風呂は、長い敷地を深みのある奥行きとして捉え、段差を巧みに用い、立体感のある景色の中に五右衛門風呂が主役として映る庭とした。露天風呂は、山裾の木々の間から空を見通すことのできる開放的な印象を持つ庭を楽しめるようにした。
内風呂から屋外を眺める額縁によって切り取られた景色は、庭の見える姿を限定しながらも屋外へと導き出す。庭園のしっとりとした空気を感じながら半露天風呂へといざなわれ、ふと見上げると、露天風呂の庭が目の前に広がっている。庭の中にあり、他の風呂からの景色となっている露天風呂からは、造られた庭を鑑賞するということだけではなく、山里の自然に包まれた雰囲気を味わい、夜空に浮かぶ星や月を眺め、そこから見える景色全てを取り込んだ庭となるのである。
それぞれの風呂は、気配は感じられるものの、他の人が気にならないように風呂の配置を調整し、ゆったりと過ごしてもらえるように配慮した。主庭と同様、庭園に用いる樹木は、大原の山里に自生するモミジやツバキ、アセビ、アオキ、クマザサなどを主に用い、刈込等の造形的な仕立てとはせず、樹木本来の姿を尊重した姿に整え、大原の自然に調和するような、山里ならではの季節の表情を味わえるようにしている。手入れにおいても、自然感を損なわないよう、手を加えすぎないことを考えながら枯れ葉や不要な枝などを中心に剪定を行い、大原の景色と調和し、空間の広がりが得られるように考えている。
庭に用いられる石は、用い方によって、庭園の表情や質感、品位が決まる、大切なものである。庭園の質を物語る石材として、大原の旧家で使用されていた鞍馬石や貴船石など京都の名石を用いることができたのは幸運であった。それらの石の顔をあらため、どの面を表に用いるのが良いか等使い方を見極め、石組や石積み、石張りなどを行った。そしてそれらの石の傍に植栽をあしらい景色を作っていく。特にこの庭で心を配ったのは、石積みの表情であった。奇麗に積み過ぎると平滑でのっぺりとした表情となり野趣のある自然らしさが失われるため、石の凹凸を活かした崩れ積みとして石のあじわいのある表情が出るように努めた。

ここ大原の里では、春の新緑、夏の清流、秋の紅葉と四季折々の姿を楽しむことが出来るが、冬の景色もまたもまた格別であり、この庭の魅力の一つである。大原は雪も多く、庭に雪が降り樹木や苔の上に積りゆく様は、幻想的で哲学的な雰囲気を持っている。庭一面に降り積もった雪面に日が差し、輝く様が美しい。
この大原の里の庭で、山里の自然に触れ四季の移ろいを感じながら、自分なりのひと時を楽しんでいただければ幸いである。

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